未来食堂通信

カテゴリ:巨人伝説( 6 )

そして美しき小人伝説








実は世の中は「巨人」より「こびと」がはやっているらしい。


前からうすうす この「こびとブーム」に気付きつつも強引に巨人のことを書いていたらやはりブログのアクセス数が下がってきたような気がする。



向学のため「こびとブーム」の火付け役とも言えるこの本を荒木さんに買いにいってもらった。(たぶん何十万部も売れている子供と子供っぽい大人向けの絵本シリーズ)



c0175267_223253.jpg






帰ってきたら彼女の表情が冴えなかったので、原因を問いただしたら 後ろにいた客に「キショイ」と言われたらしい。 (荒木 スマン・・・! コレモ仕事ダ!)


c0175267_2233810.jpg



c0175267_2241330.jpg



c0175267_2245320.jpg




中身は著作権の都合でたぶんこれぐらいしか見せれないのだろうが、少しブームの理由が掴めたような気がする。



今年のテーマは「柔軟性」と「色眼鏡をかけない」なので 僕も こびと についても書いてみたいと思案していたら、先日行った天王寺公園内にある大阪市立美術館で現在展覧してる浮世絵師 歌川国芳の作品にも こびと が登場していたので衝撃を受けた。


c0175267_2255851.jpg


これではなく                      (天王寺公園でカメラの練習)
 

c0175267_2262919.jpg


これではなく                      (こういうのがあると必ず撮るクセがあるようだ)




c0175267_2271142.jpg


これ  








私の中で こびと というとまず思い出すのが





白木(ベイビー)みのる




c0175267_3215887.jpg





ではなく







殿下もそうなのですが・・・・・・・



c0175267_2330365.jpg



「プリンスと志村けんは 私生活が孤独」という大学時代の友人 石川君(プリンスマニア)の言葉が今も忘れられない。






このひと! AC/DC  アンガス ヤング!!  (他メンバー全員こびと)


c0175267_129468.jpg



Live at Donington 1991






観客動員数72500人。




MONSTERS OF ROCK IN MOSCOW 91!  推定観客動員数 50万~100万!!!(大阪府堺市の人口は85万人、兵庫県西宮市 48万人、同左尼崎市 45万人)






この91年のモンスターズ オブ ロックで AC/DCは 同じ年 ビルボード全米1位に輝いた5thアルバム『Metallica』(通称ブラック・アルバム)をひっさげたメタリカをおさえての ヘッドライナーだった。
当時AC/DCの代表作といわれるアルバムは何枚か持っていたし、ライブビデオも見てアンガスヤングの脚の動きも完コピしていたものの、完全に1stアルバム以来のメタリカ側のファンだった僕はこのヘッドライナー=AC/DCが大いに不満だった。(当時の学友たちの風潮にのっとって)



しかしスレイヤーの「メタリカは死んだ」発言と時を同じくして聞くことが少なくなり、興味もなくなってしまったメタリカに対して それから20年たった今でも 僕の感情を熱狂に満ちたユーフォリアに導いてくれるのがアンガス ヤングなのである。



歴史にもしもは存在しないがもしもアンガスがこびとでなければ決してそうはならないはずだ。



アンガスに対して大きくも小さくも見えるエレクトリック ギターの名器 gibson SGは彼のために存在する。SGとアンガス ヤングの関係は池乃めだかとネクタイの関係に似ていると思う。(似てないか・・・・・・・・・いや似ている。)







ちなみに・・・・・・・・・・・・・・・・・



c0175267_2115059.jpg

                                    おなじみのHERMETO PASCOAL & SIVUCA






彼らも こびと なのだが その容姿からして僕の中では こびと というよりも妖精に近いので却下・・・・・・・・・





もう4時か・・・・夜は更けていく・・・・・・・・・・









[PR]
by tre-lumache | 2011-05-18 04:06 | 巨人伝説

巨人編 完・・・・・・・・

c0175267_2465146.jpg





前回のブログの執筆途中、猛烈な睡魔が私を襲ってきた。


私の場合ブログの執筆は日中は職務性質上、時間的に不可能であり、どうしても仕事が終わって帰宅した後の深夜から明け方にかけて・・・・ということになってしまう。


先日も結局明け方になり、寝不足というのは味覚に甚大な影響を及ぼすため「本業に差し支えては・・・・・」と、そろそろ擱筆しようとしたのだが、
覚醒と酩酊、現実と夢想の境界にはなにかしら人の過去の記憶をときどき呼び戻すシステムが存在するようである。
逆らうことのできない眠気に従順に屈して画面上のブログを閉じようとした刹那、私はホメロスとボッカッチョの関係について記述した書が本棚にあったような気がして 混濁した意識の中、乱雑に積み上げた書籍の山を漁り出したのであった。







・・・・・・・・あった。これだ!





私は思いあたるページを指先が切れるほどの勢いでめくり、キルヒャーの巨人伝説からの私の脳に存在するモヤモヤした高く掴み取れない薄雲を取り去ってくれる その一文をついに発見したのである。








「わたしこそはラテン人たちのあいだで初めて、『イリアス』を翻訳し注釈するのをわが家で聞き、ホメロスがフィレンツェ大学において公に注釈されるようにした者であった」         ボッカッチョ








この一文こそ、まさしくボッカッチョがシチリア島の巨人伝説を蘇らせ、今日のイタリアにまで伝えた張本人であることを証明するのである。






紀元前8世紀ごろのギリシアの詩人ホメロスは盲目であった。
当然のことであるが文字は知らない。つまりホメロスの作品といわれる、それぞれ一万数千行からなる「イリアス」や「オデュッセイア」は口誦(音声)によって生み出された長編叙事詩なのである。

そして彼の死後、「イリアス」や「オデュッセイア」は彼の弟子にあたる吟遊詩人集団ホメリダイによっていわゆるoral tradition=口伝という形態を使って歌い継がれた。





その後ギリシャでも文字が用いられるようになり、紀元前6世紀ごろ今日に伝わるギリシア語で書かれた「イリアス」や「オデュッセイア」のテキストの原型が生まれるわけであるが、ここで注意したいのは ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」は決してその後 ローマ帝国誕生を経て、中世ルネサンス期にいたるまでの間 ヨーロッパの学識者や支配者から公知され、研究されるような書物では決してなかったということである。





313年 ローマ皇帝コンスタンティヌス1世のキリスト教の認知、そして 380年ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教をローマ帝国の国教と定めて以来、ローマ世界ではキリスト教は一神教の宗教であるという教義上、他宗教、あるいは多文化の神は一切認めず、その権威の維持のため、帝国拡大によって得た領地で信仰されていた異教の神々を次々と放逐していった。

したがって最高神ゼウスを筆頭に数多の神々が登場する古代ギリシア信仰は当然のこと、 その神々と英雄たちの物語であるホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」は認められざるものだったと思われる。







ところがこの忘れられた神々が復活したのがまさにイタリアのルネサンスであり、その一翼を担ったのがボッカッチョなのである。



ボッカッチョやその師ペトラルカをはじめとするルネサンスに誕生した人文主義者たちは、キリスト教誕生以前の古典研究を通して、ギリシア・ローマ神話の神々やプラトン、アリストテレス、オルフェウス、ピュタゴラスあるいはゾロアスターなどの教説や哲学ををキリスト教の教えに融合させていく。例えばそれらの古代の神話や哲学のなかにキリスト教の聖書内容と合致するアレゴリーを彼らの「詩心」で読み取り、キリストの教えとの共通項を説くことが すなわちキリスト教をより権威ある絶対的真実へと深めていくと考えたのである。


すなわち それは11世紀以降 ルネサンスにいたるまでの間 神学、法学、自然哲学の学習、研究方法であったスコラ神学、スコラ哲学がその方法理論の性質上、質疑が枝葉末節に陥り、形骸化し、ペダンティックな議論によってその本質を見失っていたことに対する反発の運動であったともいわれている。





ボッカッチョはこのルネサンスの文学者たちのなかで初めて ギリシャ語を学ぶために、カラブリアの修道士レオンツィオ・ピラート(Leonzio Pilato)をフィレンツェに呼び寄せた。
そしてそこで完遂した「イリアス」の読解によって生まれたのが上記の喜びと自負心に満ちた言葉だったのである。(ちなみに師匠に当たるペトラルカはビザンツ帝国から送られてきたホメロスのテキストをギリシア語が分からず読むのを断念した)



そしてボッカッチョは「イリアス」を読破したあと「オデュッセイア」、にもとりかかり、第九歌に登場するポリフェモスについても記憶にとどめたはずである。



つまり キルヒャーの述べていた「ボッカッチョが伝えたシチリアの巨人」というのはやはりホメロスの「オデュッセイア」に登場する巨人ポリュフェモスであり 巨人ポリュフェモスは ギリシア神話が伝えた海神ポセイドンの息子なのである。



ボッカッチョの作品の中にそのあまりに有名な「デカメロン」に比して、さほど知られていないが、古代神話の神々を綴った「異教の神々の系譜」(Genealogia Deorum gentilium)というのがある。最初のバージョンは1360年に完成したのだが、継続的に修正をし、1375年の彼の死まで改正作業を行っていた彼の古典・神話探求の集大成ともいえる著である。
この「異教の神々の系譜」は残念ながら未邦訳であり内容を確認することは今の私には困難である、いわゆる垂涎の書なのであるが、いつの日かイタリアに再び渡り その中にポリュフェモスの記述を探ってみたいと思っている。






話は変わるが、最近私は「イタリアに今年は行くのか?」という質問をよくされる。もう数年、イタリアに行こうとしない私への怪訝なる当然の質問である。イタリア地方料理を店の一つのコンセプトに置き、提供している料理人にとってはイタリアに頻繁に向かい、その空気を感じて、未だ未食の地方郷土料理や食材に出会い、情報収集するのは必然のことに思えるからであろう。



しかし私はまだイタリアには帰らない。




渡伊中、「もう十分だ」と思えるほど実食に基づいて濃密に地方料理を探求できた自負もあるのだが、理由はそうではない。
普通の日本人が学習もせずにヘブライ文字がまったく理解できないようなもので、イタリアで3年半過ごした私にとってもイタリアという国はあまりに奥が深く、浅薄な下知識だけでは到底太刀打ちできない壮大な歴史の所産に基づいた国であることを痛感したからである。


大学でアンドレ・ブルトンに傾倒し、その後 サド、コクトーの翻訳、「ヨーロッパの乳房」などの綺譚評論で知られる耽美なるヨーロッパの審美者 澁澤龍彦はイタリアの歴史や文化についても数多くの著作の中でその怪人のごとき博覧強記ぶりを披露している。


しかし驚くべきことに彼が初めて渡欧したのは彼が41歳の時である。当時の時代背景を考えると海外渡航が容易ではないのは間違いないが、澁澤の文学者としての年譜を知る者からすれば あまりに意外な事実であり、その異邦感覚にあふれた素養や膨大なるヨーロッパ文化の知識は書物から得たものであったことに驚くのである。




初渡欧から僅か59歳で亡くなるまでの18年間の間に澁澤はイタリアには計3回訪れ、ヨーロッパの中でもイタリアは特にお気に入りの場所だったという。1974年の初めてのイタリアでは、彼の地を支配したフリードリヒ2世への「年来のロマンティシズム」のせいで 予定を変更し、当初計画に入ってなかったシチリアを訪れた。






「ゲーテの『イタリア紀行』をバッグの底に忍ばせて、気が向いた時に少しずつ読みながら、イタリア各地を旅行するのもいいだろう。ゲーテのはずんだ気持がこちらに伝わってくるようで、こちらまで浮き浮きした気分になってくる」 (澁澤著「イタリア酔夢行」)



自分の店を開けて4年。私も澁澤のように こんな気分を味わいたくて次回のイタリア旅行への想いを膨らませながら日々 イタリアの歴史と文化を書物にて探求している最中なのである。


 




奇しくも今日(もう昨日になったか・・・)5月8日は澁澤がこの世に誕生した日でもある。

そして亡くなる直前のベッドで夫人に   「(イタリアに)また行きたいね」 と漏らしていたという・・・・・・








c0175267_4222494.jpg



寺山修司、三島由紀夫などとともに私の青年期における心の原風景をつくってくれた彼にこのブログを捧げる。
















巨人編  完













[PR]
by tre-lumache | 2011-05-05 00:26 | 巨人伝説

giganti

Ulisse Aldrovandi  1522-1605

c0175267_05425.jpg





「紀元前8世紀頃に成立した盲目の吟遊詩人 ホメロスによる「オデュッセイア」・・・・・・



上の絵のようなボッカッチョも想像したであろう典型的なシチリアの巨人のイメージはその中に存在している。」








「オデュッセイア」という約1万2000行の超長編叙事詩の詳細はこのブログでは省かなければいけないが トロイア戦争で「トロイア(トロイ)の木馬」を考案したギリシャ随一の軍略家、イタケ国王オデュッセウスの冒険奇譚といえば話がはやい。




シチリアの件はオデュッセウスがトロイア戦争後、故郷のイタケ島に 紆余曲折を経て向かう途中に食糧補給のために立ち寄った島として登場する。





この時シチリアを支配していたのは巨人族で その中でも最も大きな巨人である
ポリュフェモス(イタリア語でPolifemo ポリフェーモ)の住処である洞窟に 12人の部下とともに閉じ込められたのである。



部下たちが骨ごと昼夜2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをポリュフェモスに飲ませて機嫌を取った。




これに気をよくしたポリュフェモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(ギリシア語で「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュフェモスは「おまえを最後に食べてやろう」といった。



ポリュフェモスがワインに酔いつぶれて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力して巨人の眼を潰した。





c0175267_4245512.jpg



c0175267_4251352.jpg




ポリュフェモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間の巨人たちが集まってきた。




巨人たちはポリュフェモスに「誰にやられた?」と聞いたがポリフェモスは「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、巨人たちはみな帰ってしまった。






こうしてオデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れることに成功した。







シチリア島の東、カターニアからバスで小一時間ほどかけていくとアチトレッツァ(Acitrezza) という小さなリゾート地に着く。1948年のルキノ・ヴィスコンティ監督作品『揺れる大地 ( La terra trema ) 』の舞台であった漁師町でもある。(シチリア版「蟹工船」の舞台といってもいいだろう)


ここを海岸に沿って歩いていくと大小様々な玄武岩が水面から突き出していているのがたくさん見えてくる。その岩に打ち付ける波も荒いので典型的なビーチリゾートには向いていない。





c0175267_16103673.jpg



                                     



写真の海から突き出た大きな岩は 島から船で逃げるオデュッセウスにポリフェモスが投げた物といわれている。







??・・・・・













ホメロス? 

















ボッカッチョ?












私はあることに気づいた。



















[PR]
by tre-lumache | 2011-05-04 00:54 | 巨人伝説

巨人








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一部の読者は気付かれている。私もすぐに違和感を感じた。



































中世イタリアでボッカチオ(以下イタリアの発音通りボッカッチョと表記)といえば、一人しかいない。



Giovanni Boccaccio・・・・・・・



ダンテ、ペトラルカに続くイタリア ルネサンス三大詩人の一人であり 1348年に大流行したペストから逃れるために邸宅に引き篭もった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという趣向で、10人が1日1話ずつ、10日間かけて語っていく全100話からなる あの「デカメロン」の作者である。




c0175267_3383280.jpg





c0175267_2543479.jpg




                                                   シャガール フランス版「デカメロン」の挿絵






 しかし、歴史年表によればそのボッカッチョは1375年にこの世を去っているはずであり、したがってキルヒャーが記したような「1401年に発見された巨人」をボッカッチョが伝えることはできないはずである。




私はまだ学生のころにキルヒャーの記したこの矛盾した年号に気付いて疑問を持ったのだが 当時も今現在もこの矛盾点を指摘した文書を私は知らない。



実はこのボッカッチョが伝えたというシチリアの巨人はイタリアの児童向けの科学書にも載っているくらい有名な話なのだが、そのソース(source)はいずれにせよ、どうもキルヒャーくさいのである。

つまり結局のところ この年号の矛盾のシンプルな解決策はボッカッチョの巨人の記述をその著書に見つけることか、あるいは記述が存在しないことを証明するか なのだが、これにはまだ長年及ばず忸怩たる思いでいる。














しかし今一度「キルヒャーの世界図鑑」を眺めていると シチリアの巨人の発見をボッカッチョが伝えたかどうかは 実はどうでもよくなってくる。













キルヒャーは述べているではないか。              


















ボッカッチョが伝えたのは「巨人中最大のもの」であると。



















・・・・・・・・・・・それ以外にも巨人は存在するのだ。










(注)作者は元気です。心配しないでください。
[PR]
by tre-lumache | 2011-04-26 03:20 | 巨人伝説

シチリアと巨人たち






まず、私がその緻密で知的な所産に憧憬せざるを得ない、かの松岡正剛氏設立の工作舎から出版されている 「キルヒャーの世界図鑑」を紹介したい。



c0175267_151924.jpg



この著書は荒俣宏に「ダ ヴィンチ以上」と言わしめたルネサンス最大の幻想的科学者アタナシウス・キルヒャーの膨大な業績を、140点余のオリジナル図版で紹介した全311pの大著である。
(1986年初版 訳者 川島昭夫 解説 澁澤龍彦(!)/中野美代子(!!)/荒俣宏。)


c0175267_4315313.jpg




その内容は一見今日の私達にとっては極めて幻想的で神秘的なイラストを多用し、その研究結果も現代科学においては かなり奇異で実証的でない考察が多すぎるように見えるが、
その第一章の小題が象徴するように「科学と神学の断層」にあったルネサンス最末期の17世紀初頭においては 私にとってむしろ興味深い 産業科学以前の純粋なる物質科学の産声にも見える。


そして純粋なるルネサンス人であるがゆえに「ただひとつの画期的発見もない」(本文)という彼の業績だが 東洋研究、地質学、医学など幅広い分野においてパイオニア的研究が数多く 残されているのも事実であり 今日の評価が決して色あせない理由になっている。



当時のヨーロッパの科学者ならだれでもそうであるようにドイツ生まれのキルヒャーもやはりイタリアとは関係が深かった。


1635年に偶然たどり着いたローマの神学校では神聖文字の研究を委託され


1636年にはシチリアにて自然科学の新たな領域を踏査、1638年には地球内部の構造を調査するためにナポリのヴェスーヴィオ火山の噴火口を調査している。



その後1664年には一連の地質学研究をまとめた「ムンドゥス・スブテラネウス」(『地下世界』)を出版するのであるが


この中にシチリアの巨人について言及している部分があり 大変興味深いので抜粋してみたい。










c0175267_3381897.jpg




これら巨人中最大のものは、1401年にシチリア島のトレパノ(おそらくトラーパニ)に近い洞穴で発見された。ボッカチオがそれを伝えている。立ったときの高さは200キュビットもあっただろう。(中略)これに比べればゴリアテは身のたけ13フィートの矮人(わいじん)だ。







200キュビットというと1キュビットは約0.45mなので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90m














90メートル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・










続く
[PR]
by tre-lumache | 2011-04-22 03:14 | 巨人伝説

・・・・・そして美しきシチリア巨人伝説

c0175267_125664.jpg







長編読み物(あしたからぼちぼち書きます)
[PR]
by tre-lumache | 2011-04-19 01:03 | 巨人伝説