人気ブログランキング | 話題のタグを見る

未来食堂通信

つづき

今日はわかりやすく写真が多め

つづき_c0175267_11431726.jpg


実は紀元前におけるマン島とシチリア島の三脚巴紋の奇妙な相似の起源については いまだ完全には解明されていないのですが、


中央アジアに起源をもち、


のちにヨーロッパ大陸に渡来、



そしてマン島を含むブリテン諸島にわたった



ケルト民族が関係しているのは間違いないようです。

つづき_c0175267_1135273.jpg


                       (スコットランドのセルティックFCのセルティックとはケルト系のという意味です)



そのブリテン諸島に含まれる件のマン島は少数ですがケルト語を話す人もいる、今もなお強くケルト文化の影響が強く残っている西表島のようなところです。


つづき_c0175267_11335691.jpg



                                  島のケルト十字の遺跡




ケルト民族は 紀元前1200年~紀元前500年ごろ中部ヨーロッパに

ハルシュタット鉄器文明


つづき_c0175267_1152539.jpg


つづき_c0175267_11531832.jpg



を築いていたのですが、その後当時欧州の文明の中心地であったギリシャの影響の下、ハルシュタット鉄器文明はラ・テーヌ鉄器文明(紀元前500年~紀元前200年)


つづき_c0175267_11541239.jpg



に発展していったのです。


おそらくこのころ(ギリシャを起源とするかケルトを起源とするか出典がないので明らかではないのですが)、三脚巴紋がどちらかの文化に伝播したと考えられます。



(もともとケルトにはギリシャ以前に先述のような三つの鉤十字の文様があったので、これがギリシャに伝わり、ギリシャ神話のアポロ崇拝とともに鉤が足に変わり、上記の時代にギリシャ→ケルトに逆輸入され、そのままブリテン諸島まで伝わり、マン島の神話に変化、帰着したと思うのですが・・・・・・・壮大な個人的仮説なのでだれか研究論文を知っている人がいたら教えてください。)




つぎは時を経た中世のシチリアとマン島との関係について・・・・




長い・・・・
by tre-lumache | 2010-08-29 10:49