未来食堂通信

中世

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トリナクリア(三脚巴紋)の シチリア → マン島 への伝播は紀元前にすでに果たしていたのは間違いない事実ですがあくまで文化レベルで、中世において トリナクリアは政治や統治のシンボルとして発展していったようです。


13世紀半ば シチリアは、神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世(フェデーリコ 2世) がシチリア王も兼任していました。

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(父親はもちろんドイツ系だが彼の母はコスタンツァという元シチリア王女)



彼はシチリア、プーリア、カラブリアなどに200以上のお城をつくっているほど、神聖ローマ帝国皇帝でありながら南イタリアに深い関係があるのです。



写真はプーリアにある彼のつくった有名な8角形の城 カステッロ デル モンテ


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彼の逸話で面白い話があるので横道にそれますが一つ。


彼が幼少のとき育ったシチリアは統治国家がいくつも変わったその複雑な歴史のせいで多民族が混住し様々な言語が飛び交うマルチカルチュアルな土地でした。

そこで皇帝になった彼が行った実験というのが生まれたばかりの乳児を集めて乳母に完璧な健康条件のもと育てさせるが、但し乳児に対し一切言葉を語りかけることなくコミュニケーションを断絶した環境で育てると、何語をしゃべるのかというもの。


現代人の私たちからすると バカにしか思えない実験ですが、結果は想定外、不測の展開を見せ乳児はしゃべるも何も、全員 死んでしまったそうです。




まさか死んでしまうとは思いませんでしたが、思い当たるふしがあります。




僕は赤ちゃんではありませんが、忙しくもなく、緊張するでもない慣れた作業の中、黙々と仕事を続ける若手調理人と一緒に 仕込みをしていると  極々明朗に育ってきた健常なはずの僕は発狂してしまいそうになります。(あるいは鬱)





最低限度のコミュニケーションは精神状態を健全に保つ上で必要不可欠という現代の好例です。







話が大きくそれましたが、



彼は生涯3回結婚していて 2回目である1225年にエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌの娘イザベルと結婚しコッラードという子を授かります。


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コッラード


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コッラード

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そのコッラードは1250年に父であるフリードリヒ2世が亡くなった後、22歳で神聖ローマ皇帝を継いだのですが 在位わずか4年、26歳の若さでこの世を去りました。




このあとシチリア王には誰になるのか、神聖ローマ皇帝は誰になるのか、ここにシチリアとマン島の関係につながるストーリーが見えてきます。



続く
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by tre-lumache | 2010-09-06 04:51 | シチリア